○ ふぶきのひと ○ 201709

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らしさの沼より (とびらのことば)

このページは石村吹雪が作り、石村吹雪のうたや言葉が気になった人が、その記憶を頼りに検索できる、本人管理の開かれていない場所です。いわゆるwwwの利点はあまり利用しない方針で開設しています。

何をやってもこんな言い方になる僕の、このような作りをひとは、「個性的ね」「彼らしいね」、という言葉でその本意を濁しつつ、だいたい通り過ぎ去っていったものです。「らしさ」、というものは結局、あまりひとに喜ばれたものではありません、というのが実感です。多くの場合、孤独を呼ぶばかりです。

しかしこの、「らしさ」というもの、生来的に持ち合わせたものとは思っていません。

たとえば、小学校中学校時代の同級生の記憶に、そんなに、「らしさ」を表現できるほど何かが特徴的だったり、もちろん何かに長けた同級生ではなかったはずです。おそらくは、地味で記憶に残らないほどでしょう。

それが故、それが為、おそらく高校生以降二十代いっぱいは常に、どこにあるのか分からない、自分らしさ、を頼りにしてきました。作り上げて来た、と言い換えてもいいでしょう。その記憶はあります。

つまり、地味な自分のために、ひととは違う何かをつくり、ひととは違うことを言い、ひととは違う行動をするべきであると。その手段としての、下手でもとにかく好きだった、うたづくりでした。

自分が気負わずに頑張って耕せる畑、とか、あまり目立たずそれでも正しいと思う言いたいことを言っていても隠れられる窪地だとか、そういう場所作りに励んだわけです。

長くそれにこだわったがために、「個性的だね」「彼らしいね」と称されることには慣れました。物足りないほど、慣れました。

歳を重ね、自分のつくるうたにだって商品価値がないと、この社会では生きていきにくいことを痛感します。そこで僕は思いました。

「もう正直、自分らしさなんていらない」と。実にここ数年は、誰もが普遍的に楽しめるような平易なうたを、誰もが使うやさしい言葉をつかって表現していこうと、心がけています。

どっこい。

どうやら、自分が快適に耕せる土地は、雨水に加えて無駄に流した汗や涙のたまった沼地。自分が心地よく水浴び出来るような場所になっていたようです。驚いたことにもう、どんなにありふれた言葉を使おうとも、そこから抜け出せない、「自分らしさの沼」から出られない身になっているように感じています。困っています。

だから、ゆめゆめ一目で分かりやすい、「自分らしさ」、などというものを追い求めないでくれよと、自分より若い人には訴えたいこのごろです。大事なことは、そんなことじゃなかったんだよと。

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